

(月刊プレイボーイ2009年1月号、952+税)月刊プレイボーイ日本版が33年間の歴史に、ついにピリオドを打った。2008年12月号(写真下)に引き続いて特集は「PLAYBOYと私(後編)」と「PLAYBOYインタビュー傑作選(後編)」。特集トビラには、「オーパ!」の取材に出る在りし日の開高健を中心とした編集部の写真が掲載されている。岡田朴・初代編集長の姿も見える。見開き左には「オーパ!」の有名な一節が引用されている。
「・・・さまよっては驚き、驚きを求めてさらにさまよい、驚くことを忘れたこの時代に、驚くことの切実さを知らされた。驚くことを忘れた心は、窓のない部屋に似ていはしまいか・・・?」
「窓のない部屋」暮らしが始まって30年以上の月日が流れた。私たちはすでに必ずしも窓のない部屋に暮らすことをおかしいこととは感じなくなってしまった。いや、そういう表現は正しくないのかもしれない。東京駅や新宿駅はもちろん、品川駅、新橋駅・・・今日の山手線の駅周辺には、全面ガラス張りの、いわば「窓だらけの」高層ビルが所狭しと立ち並ぶ。窓の数と表面積は確かに増えたが、私たちの生活はそれによって豊かになっただろうか? 私たちには窓ガラスの向こうが見えていないのではないか。この空を埋め尽くす窓ガラス群は、透明色をしたただの壁に過ぎない。驚きは無論、ない。
「PLAYBOYと私」のなかから印象的な言葉を少しだけ引き出しておきたい。できるだけ多くの人に、もう一度目を向けて欲しいから。写真家の野町和嘉は言う。
「日本での読者の消滅により、残念ながら、硬派をめざす若い写真家たちを支える素地は消滅してしまった。カメラの進化によって、中高年層を中心に写真の底辺は大いに広がりつつあるというのにレッスンプロというサービス業で生きる以外に、写真家が食えない時代になりさがってしまった」
作家・荒俣宏は言う。
「まだ執筆者になる前、『PLAYBOY』を読むと「ああ、大人になるって、こんなにカッコいいんだ!」って思いましたね。作る人たちが誰よりもこの雑誌を愛してたんじゃないでしょうか。ハイブロウな雑誌を作ろう! という気概に満ちていて」
画家/グラフィックデザイナーの横尾忠則は言う。
「60〜70年代は、しょっちゅうニューヨーク、ロンドンへ行っていた。退廃的でエネルギーが渦巻いていたんだけど、今年、9年ぶりにニューヨークへ行ったら道にイヌの糞も落ちてない。ソフィスティケートされてしまった。あの時代の"過剰さ"は、もうないね。ちょうど、今回のニューヨーク滞在中にリーマン・ショックが起こった。いまの、こういった状況から芸術文化が育ってきてほしい」
誰もが不満を抱えているのに、また一誌大事な雑誌がなくなってしまった。私たちはまた作らなくてはいけない。新しい雑誌を? 違う。必要なのは、賞味期限が切れた「雑誌」じゃない。向こうを覗いたり、空気を入れ替えたりする、「窓」だ。(出版WEB担当・川村)





















