朝日新聞襲撃事件の真犯人をめぐる誤報事件で、朝日新聞から厳しい追及を受けた『週刊新潮』(新潮社)が、静かに「仕返し」をはじめました。同誌は先週発売された6月11日号に、短期集中連載「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る! ひた隠しにされた『部数水増し』衝撃の調査データ」を掲載開始。公称1,000万部の読売新聞が18%、公称800万部の朝日新聞が34%など、全国紙は広告料の基準にもなる発行部数を「水増し」しているという内容です。『週刊新潮』の言う「水増し」は、いわゆる「押し紙」問題として知られ、これまでにも多くのメディアが取り上げてきました。今年3月には会員制情報誌『FACTA』(ファクタ出版)も、日本ABC協会(=新聞や雑誌の部数公査を担う第三者機関)が新聞各社の販売店に対する公査を行うなかで、新聞社からの配送部数と販売店から読者への配送部数に大きなズレがみられることを、関係者の証言を引用しつつ明らかにしています。
日本ABC協会の公査厳格化を背景に、新聞各社はここ数年で「押し紙」を減らす努力をしていると言われますが、『週刊新潮』の記事を完全否定できるのでしょうか。全国紙各社は『週刊新潮』に事実無根との抗議文を送ったそうですが・・・連載の次回記事に注目です。
さて、6月7日(日曜日)の朝日新聞広告。一面記事下、いわゆる「サンヤツ」(=三段を八つに分割した広告)は、スペースこそ小さいものの、一面という特殊な価値を持つ広告。それぞれの出版社の主張が明確に出るため、わたしたち書店にとっても大きな情報価値があります。他面でも大きな広告を打てる大手は、端的にいま売れはじめていて、さらに売りたいと狙っている本を単独で。中小出版社だと、主な新刊を網羅するか、刊行点数の少ないところだとこのサンヤツが広告のすべてというケースもあり、イチオシの新刊のみに情報を絞り込んだりします。
この日気になったのは、『本庄事件 ペン偽らず』(日本経済評論社)。1950年に花人社から刊行されたドキュメントの復刊本です。連合軍占領下の1948年、ヤクザと警察権力が手を組んで「暴力の町」と化していた埼玉県本庄で、朝日新聞浦和支局の記者たちが記事を通じて事実を明らかにし、それに鼓舞された若い住民たちが街の浄化へと動き出す・・・。誤報、部数水増し、記者が痴漢で逮捕云々という今日のマスコミ業界。あらためてジャーナリズムとは、民主主義とは何なのか考えてほしい、そんな日本経済評論社さんの主張が感じられる復刊です。
同じくメディア業界をテーマにした文庫『「朝日」ともあろうものが。』(河出書房新社)。朝日新聞の一面に(小さいながら)この広告です。著者の烏賀陽弘道さんは、朝日新聞記者、『AERA』記者(同誌は現在、朝日新聞の系列会社である朝日新聞出版から刊行)などを経て退職、フリーで活躍する異能のライター。内容は烏賀陽さんの個人ウェブサイトと同書に譲りますが、これは「朝日新聞バッシング」本ではありません。マスコミで仕事をしたいと考えている学生のみなさん、ぜひとも読んでみてください。
他面の広告では、二面記事下全五段が文芸誌四誌。『新潮』(新潮社)の「太宰治生誕百周年 わたしの人間失格」、『すばる』(集英社)の「インタビュー岡真理」、『文學界』(文藝春秋)の「対談 古井由吉/島田雅彦 恐慌と疫病下の文学」あたりが気になります。何が気になるかと言えば、自閉症気味の文学サイドから、現実社会へのアプローチを試みている(と思われる)特集だからです。それにしてもこの定例の全五段、作家の名前と題目ばかりずらずら並ぶこの大きなスペースを眺めて、文学への期待を抱く読者は多いのでしょうか?
そのすぐ左、三面記事下全五段は幻冬舎さん。『レジ待ちの行列、進むのが早いのはどちらか』が5万部を突破したそうです。こういったタイトルと強烈な広告展開は幻冬舎さんのお家芸。この手の心理本はこれまでにも星の数ほど出版されてきたわけですが、たとえそうであっても、思わず買って読んでみたくなる・・・本とはそんなものかもしれません。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠んだのは幕末の志士高杉晋作でした。情報過多の毎日に飽きや疲れを感じたとき、ぶらりと寄った書店でなにげなく一冊の本を手に取り、その小さな世界にはまり込んでみる。どんな本であっても、そういうささいな世界の変化が、明日を「おもしろく」生き抜く力を生み出してくれるのではないでしょうか(それがあゆみブックスだったらわたしたちスタッフは幸せです)。





















