日本古代史史料解読の第一人者・東野治之教授(奈良大学)の最新刊『鑑真』(岩波新書、定価720円+税)が発売されました。今年は唐僧・鑑真が創立した唐招提寺金堂の「平成大修理」を記念して全国で鑑真和上展が開かれました。鑑真和上座像や梵天、帝釈天、四天王立像など国宝が勢揃いした展覧会は圧巻でした。それにしても、鑑真は別に日本に初めて仏教をもたらした人物ではないし、のちに登場する道鏡のように天皇位を簒奪せんとするほどの権力を持った人物でもないのに、なぜこれほどによく知られているのでしょうか。
出家した人が僧や尼として正式に認められるための儀式、いわゆる「授戒」が鑑真によって初めて行われたと言われますが、もちろんそういう実質的な理由が鑑真の名声を高めた面もあるでしょう。しかし、何よりみなの心を惹きつけるのは、鑑真が弟子たちの裏切りや荒れ狂う海の妨害、みずからの失明など、幾多の困難を乗り越えて日本に渡ろうとする壮絶なその生きざまに違いありません。鑑真は唐で多くの弟子を抱え名声を得ておきながら、なぜ死の危険もかえりみず海を越えようとしたのか・・・東野教授は今回の『鑑真』でそんな根本的な疑問に取り組んでいます。
「私は、鑑真が古代の人であることを忘れてはならないと思います。合理的な見方だけでは解けな動機が、鑑真を動かしたのではないかということです。常々鑑真は、天台宗の祖と仰ぐ慧思が、東方に生れ変わって法を説いたことを信じていました。訪ねてきた日本僧の話を聞いて、鑑真は、まさにその生れ変わりといえる皇子がいたことを確信したにちがいありません」(『鑑真』第二章より)
日本から大陸へと渡った遣唐使、五度の挫折の末に日本に渡り真の仏教を伝えようとした鑑真。古代より、何か新しいものを発見したり、築いたりするには、困難や障害、そして挫折がつきもののようです。いまこの困難の時代に、鑑真が注目されるのにもそれなりの理由があるのでしょう。(K)





















