「数カ所の被災地を見てすべてをわかった気にならないよう、宮城と岩手の沿岸部を中心に、北は青森、南は千葉までをまわった」(p.143)という東北大学教授・五十嵐太郎さんのエッセイをまとめた『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)が発売されました。『新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫)や『戦争と建築』(晶文社)でその独特な視点と博覧強記を披露した五十嵐教授が、書題の通り、東日本大震災の被災地を自らの足で歩き回り、建築の角度から考えたことを飾らぬ言葉で書き知るしています。「建築物とはこうあるべきだ」「防災のために建築はこう役立つべきだ」といった押しつけがましい主張は一切なく、建築が震災前までになしえたこと、なしえなかったことを(悲哀や怒り、驚きといった生の感情をにじませながらも)冷静に書き留めた文章に、東北への強い愛を感じてしまうエッセイ。(リンクに続く)
もちろん、感情的な面以上に、建築家の視点からでなければ出てこない批評や発想がいっぱいに詰め込まれていて、建築の専門家でない方にこそぜひ読んでほしい内容になっています。以下のような言葉が印象的でした。
「ここでふたたび建築をつくることは可能なのかと自問せざるをえなかった。原発のような構造物、あるいは核シェルターのような建築ならば津波に対抗できるかもしれない。だが、そこまで過剰なスペックを装備してまで人間はここに住むべきなのか。こう書くと、被災者の気持ちを考えろ、という批判がなされるのだが、被災者も一様ではない。(中略)いま生きている人はもう津波に遭遇しないで済むかもしれない。だが、同じ場所で暮らす子供や子孫は間違いなく津波に襲われる。(中略)建築や土木がいつも自然に勝つのではなく、ときには敗北宣言をしてもよいのではないかと考えさせられた」(p.30-31)





















