2012年1月号の文芸誌「すばる」に、作家の星野智幸さんが震災後の(ツイッターなどを含む)執筆について、こんなエッセイを書いていました。もうたくさんなのだ。言論が、現実から離陸し、現実を脅かさない領域で力関係を作り上げ、白熱していくことは。そのような言葉のあり方が原発事故の起こるこの社会を作った、という後悔が私から言葉を奪う。現実から離陸することなく、誰が何と言おうと自分の身体で現実と向き合い、自分の言葉を探るように書いてきた作家のひとり、それが先日『ピョンヤンの夏休み』(講談社)を発表した柳美里さんです。韓国籍を持つ「在日の作家」として、父親が生きた分裂前の朝鮮半島という「幻の祖国」を、2008年から4度にわたって訪問した記録が本書。軍事や外交の面から北朝鮮を研究した記事や書籍はピンからキリまでいろいろありますが、現実の存在としての北朝鮮、その空気や国民の息づかいまで伝わってくるような記録は、本書以外にいくつもないような気がします。東日本大震災のあと、「現実を見よ」「冷静に対処を」という言葉がメディアやインターネットで乱舞していますが、そのうちのどれだけの人が、星野智幸さんの言うような「現実を脅かさない領域」ではないところから、言葉を吐いたでしょうか。本書に寄せて言えば、どれだけの人たちが、北朝鮮について「現実を脅かさない領域」ではないところから語ってきたでしょうか。ジャーナリズムやツイッター上の言葉(の多く)がいかに上滑りしているか、本書を読めば、よくわかると思います。
柳さんは自由にシャッターを切れない「祖国」で、カメラのボタンを押す自らの心をこう表現しています。
わたしがカメラのシャッターを押すのは、感情が無意識のうちに動かされるときだ。感情によってしかシャッターを押さない。わたしは十日後に、この国で撮った写真を現像して見るだろう。時間と距離を置いた安全な岸辺に写真を並べて、朝鮮民主主義人民共和国という国を再構築するつもりはない。無言の写真から滲みあがってくるのは、それを目にしたときの、わたしの感情でしかないからだ。
現実を直視するとは、こういうことではないでしょうか。ぜひ読んでください。





















